生命の樹 第4セフィラ ケセド(Chesed)【慈悲・木星】
【カバラ】は名詞ではなく【受け取る】という動詞。
では、受け取るとは何なのでしょう。何を受け取るのでしょう。
人は一人では生きて行けない。
それは生きているからこそ実感し理解できます。
今この瞬間を[生きている]それ自体が学びであり[生]を受け取っている。ということ。
私達はこの世に誕生した瞬間から色々な人の愛情を【受け取って】います。
生まれたての赤ん坊は自分一人の力では食料を得ることも、衣服を纏うことも出来ません。
誰かの愛情があったからこそ飢えることなく、凍えることなく、今まで生存できています。
愛情は恋愛だけではありません。
親子、友人、仲間、同士、人間、どんな間柄であっても【愛情】はあります。
いくつもの愛情に日々支えられています。
【受け取る】下地は皆出来ています。
今生きているということは、それだけで深い愛情を受け取っていた証しなのです。
「人間もまた小宇宙である」
宇宙そのものが目に見えないように、愛情そのものも目に見えません。
しかし確実に【在る】こと。
星々のきらめき。月の満ち欠け。
夜空をただただ眺めて楽しめばいい。
見ているだけで落ち着くという人は多いはず。
身体の中の宇宙が穏やかになるように。
受け取る愛情がたくさんあることを思い出すように。
生命の樹右中央にあるセフィラ「ケセド」
生命の樹のケセドには「慈悲」という言葉が割り当てられています。
深い慈しみの心。情け深い様子。そして、苦しみを取り除く心。
仏教用語でもある「慈悲」
仏や菩薩が人々に対して行う「慈しみ」「情け」「思いやり」の気持ちをあらわしています。
第4セフィラ「ケセド」の天使 大天使ツァドキエル
ケセドには「大天使ツァドキエル」が割り当てられています。
「神の正義」「神の公正」「神の高潔」と意味付けされている大天使ツァドキエル。
全ての人々が公平に愛される存在であることを教えてくれます。
「創世記」では神への忠誠を試されたアブラハムが犠牲として息子イサクに剣を突き立てました。その時にツァドキエルが直前で阻止したとされています。
また、モーゼが神から律法を授かる時にツァドキエルが天から沢山の天使を率いて降りてきたとも記されています。そこから「記憶」という意味付けもあります。
慈悲とは何でもかんでも肯定することではありません。
優しさと甘やかすは違います。
万人に向けた優しさにも、正義や正しさがあります。
誰しも間違うことはある。
その間違いを訂正する優しさ。
そしてそれを許す優しさ。
そんな包容力のある優しさが愛情となり慈悲に繋がっていくのではないでしょうか。
自己犠牲で成り立つ優しさ、人からの評価を気にする優しさは慈悲とは違います。
慈しむ気持ちは自然と湧き上がってくるもの。
そう大天使ツァドキエルが教えてくれているよう感じます。
第4セフィラ「ケセド」と生命の樹カウンセリング
生命の樹カウンセリングを行う時の第4セフィラ「ケセド」は
- 家庭
- 母
- 育った環境
- 両親
をあらわします。
[家庭環境や幼少期のトラウマ]や[潜在意識に影響を与えた事柄]などがあらわされています。
第4セフィラ「ケセド」と願望実現の生命の樹ワーク
願望実現の生命の樹ワークを行う時は「自分や周囲の人達と分かち合えるメリット」
を書きます。
メリットを書くことで未来への希望や楽しみが湧いてきます。
これらは一歩を踏み出すエネルギーとなり気持ちや意識が前向きになることができます。
★参考文献
生命の樹×占星術 のケセドとは?
ケセドは惑星では「木星」を割り当てられています。
占星術における「木星」とは
全知全能の神・ゼウスを象徴とする【大吉星】木星は、古代より人々から愛され、求められてきました。
[木星]と[土星]の2天体は、いずれも【社会天体】と呼ばれ個人が持つ資質ではなく、社会に受ける影響や社会的立場などを示唆します。
[木星]と[土星]は社会との関わり合いの中で個人が受ける影響(変化)です。
それはつまり、私たちの意識次第でコントロールできる、ということです。
[木星]と[土星]のエネルギーをプラスのエネルギーにできるか、マイナスのエネルギーにしてしまうかは、自分次第なのです。
木星とケセド
木星とは、
- 発展・拡大
- 吉星
- 理想
- 援助
- 寛大
- 増長・散漫・ルーズ
- 未来の理想
などをあらわします。
木星は社会的天体なので、個人の性格ではなく、社会との繋がりや関係の取り方に影響を持ちます。
惑星には年齢域というものがあり木星は[46歳~55歳]です。
月から火星までの年齢域を学習し、木星の年齢域に到達する。
ようやく自分自身の長所や短所を踏まえ、ありのままの自分を受け取れることができる年齢域なのです。
占星術(木星)でも、生命の樹(ケセド)でも、未来への希望がイメージされます。
それは、棚ぼた的に拾うのではなく、自らの気持ちで動いている姿。
損得勘定や見栄や嘘で塗り固めた行動ではなく、心からの行動。
だからこそ感謝や感動が生まれ、友、同士、仲間が集うことになる。
セフィラは1つで成り立っているわけではありません。
1つだけの意味では片手落ち。10個あるからこそ成り立つもの。
人も同じです。
お互いが支え合い、補いながら生きている。
助け合う気持ち。
譲り合う気持ち。
感謝する気持ち。
その行動には必ず何らかの気持ちがあるはず。
その行動(気持ち)には愛はありますか?
生命の樹×数秘術 のケセドとは?
セフィロトの樹で「4.ケセド」は慈悲、愛、善、をあらわします。
「4」は全ての基礎となり落ち着きや安全を象徴する数です。
「4」は4本柱を意味し、安定した家のイメージをあらわしています。
心理学者のカール・グスタフ・ユングは「4」は人間の精神や霊を象徴し、人間の心理の動きをあらわしていると言っています。
浅野八郎著『「カバラ」占いの書』より抜粋
4番目のセフィラ ケセド
数字で見た「4」は現実、安定、落ち着きをあらわします。
「4」は四本柱をあらわすように、建物の基礎や柱の基になる数字とも言われています。
- 4つの方位
- 東西南北
- 世界の四大大陸(ユーラシア、アフリカ、北アメリカ、南アメリカ)
など「4」は全体をつくりあげる基礎となるものと結びついている数です。
ケセドの慈悲は、
心の安定をもたらすもの。
精神の落ち着きを導くもの。
内面を整えることが、全ての基礎になるのだと示しているのではないでしょうか。
三本の柱の中のケセドの意味とは?
左側の峻厳の柱、右側の慈悲の柱、中央の均衡の柱。
ケセドは右側の慈悲の柱の中央に鎮座しています。
慈悲の柱が意味するのは「男性性・能動的な力」です。
ケセドにも割り当てられている「慈悲」
慈悲の柱の中心に位置するのは必然と言えるでしょう。
ふんわりと耳障りの良いことを言うのが慈悲ではありません。
見下すのではなく、一個人として向かい合う姿勢。相手の自立を手助けする覚悟。
これらを踏まえて、自分から手を差し伸べるのは、まさに能動的な力。
5番目のセフィラ「ゲブラー」が「峻厳・力」をあらわし、4番目のセフィラ「ケセド」が「慈愛」をあらわす。
左右の対となる、異なる二つの力が手を取り合うからこそうまくいく。
優しさや愛情だけでは立ちいかなくなることもあります。それが現実というもの。
厳しさと慈しむ心。両方あるからこそ力が発揮できます。
世界は愛に包まれている。
そう思うことが出来るのか。
そう信じることが出来るのか。
自分が存在する世界は自分で選択できるのです。
ケセドの慈悲とは?
ケセドの「慈悲」は、その場しのぎの優しさや、自分が優位に立つための手段ではありません。
見返りを求めない愛。
未来へ続く、希望に繋がる、愛とは何か。
慈しみ、受け入れ、許す。
簡単に出来ることではありません。
だからこそ一生を通じて学ぶのではないでしょうか。
人は弱い。けれど強い。
苦しくて動けなくなる時もあります。
どうしたらよいのか何も考えられなくなってしまう事もあります。
そんな時にそっと手を差し伸べてもらえたら。
どんなに嬉しいことでしょう。
どんなに勇気づけられることでしょう。
苦しい道のりもほんの小さな優しさで進むことができることもあります。
そんな慈しむ心を受け取った人は、今度は自分が手を差し伸べようとします。
慈しむ気持ちは連鎖します。
小さな優しさは広まります。
自分の弱さを認められるからこそ、人を慈しみ思いやることが出来るのです。
ケセドがあらわす慈悲。それは損得勘定のない慈しみの心。愛情。
母親が我が子を想うような。聖母マリアが、イエスキリストが、人々を導くような。
そんな優しく温かなイメージを感じます。
口先だけの優しさではなく、心をともない行動出来る強さ。
間違いを許すことができる広い心。
真っすぐな芯のある強さを持ったきらめきを感じます。
マザーテレサのように。ナイチンゲールのように。
心からの慈しみが自身を輝かせてくれる。
そんな美しさがイメージされます。
★当記事及び、当サイトの参考文献一覧です
いつも笑顔でいられますように
笑顔の樹☆Tomoko