4.生命の樹の色々
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私の中の生命の樹

生命の樹 tree-smile.com 笑顔の樹
tomoha

「生命の樹」は「カバラ」の教えの中心になる図です。
それは奥義であり口伝で受け継がれてきたもの。

そしてカバラはヘブライ語で『受け取る』を意味します。

生命の樹の図を見て何を感じるのか?
どう感じるのか?
その受け取り方は人によって様々。

でもそれでいい

なぜなら、
事実真実は違うから。

そう、

事実はひとつ。
真実は人の数だけあるのだから。

小学館 田村由美著『ミステリと言う勿れ』より

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最初に:事実と真実の違い

例えば、
ここに生命の樹があります。

笑顔の樹 tree-smile.com
これは事実
誰が見てもそう認識できます。

では真実は?
Aさん カバラの文献の中に出てくるものです。
Bさん タロットカードの絵柄にもある象徴的な絵です。
Cさん 数秘術の勉強をする時に出てきた図案です。
Dさん エヴァンゲリオンの中で出てきた神秘的な絵柄です。

簡単な例ですがAさん、Bさん、Cさん、Dさん、みな同じ「生命の樹」を見ています。
しかし捉え方や表現の仕方がそれぞれ違います。

でも間違っている人は誰もいない

みんな嘘は言っていない。
みんな見たままの本当の事を言っている。
しかし4人の言っている事はバラバラで違う

事実と真実を簡単に説明すると、

事実は客観的なこと。(現実にある事。実際に起こっている事)
真実は主観的なこと。(本当の事。噓偽りのない事)

という事は、
「生命の樹」という事実(実際にあるもの)に対して、
それぞれが記憶や知識に照らし合わせて真実(噓偽りのない事)を言っただけ。

4人は皆、真実を述べている。

生命の樹を見て感じた事に正解も不正解もありません。
(もちろん歴史的、学術的、学問的、な事での正しさや答えはあります)

生命の樹を見て何を感じるのか?
どう捉えるのか?
それは人の数だけあっていい

あなたは生命の樹を見て何を感じましたか?
何を思いましたか?

その思った事や感じた事を大切にして下さい。

それがあなたにとっての真実なのだから。

今の私が感じる生命の樹

私は2016年に小西温子先生から生命の樹をご教授いただきました。
この文章を書いているのが2022年なので6年前。
それから自分なりに本を読んだり、調べたり、楽しい時間を過ごしています。

その学んでいる中で「その時、その年、その時代で感じる自分なりの生命の樹」があるなと思いました。
それは感覚的なものでもあり、知識の量からくるものでもあるのでしょう。

生命の樹のバックボーンや根本は変わりません。
しかし見かたや感じ方は年月とともに変わる。

大きな樹を見て、

  • 全体像を見るのか
  • 葉を見るのか
  • 枝を見るのか
  • 幹を見るのか
  • 根本を見るのか

そして、

  • を見るのか
  • 過去を見るのか
  • 未来を想像するのか
  • 歴史を紐解くのか

そう、
見かた、捉え方は無限にある。

そして今の私が感じる生命の樹は、

自分の中の「在る」を思い出すもの。

よく、自分探しの旅に出る。海外に行く。みたいなものを聞きます。
実際に変わることが出来た人もいます。
しかし特に変わらなかった人もいます。

何故でしょう?
何が違うのでしょう?

あくまでもひとつの例ですが、
それは、変わらない人は「外側で受ける刺激がダイレクトに自分を変えてくれる」と思っているからではないでしょうか。

簡単に言うと「海外」という「魔法」が自分を変えてくれると思っている
厳しい言い方ですが、自分は何もしなくても、海外にさえ行けば勝手に何かが変わると夢見ている。

しかし、
変わる人は外側の刺激を受け取り、吟味し考え取り入れ行動しようとする。

つまり、
「自分の意識を変える」「考え方を変える」「行動を変える」など自らの意思で内面と向き合い、行動し変化しようと努力する。

それこそが自分の中の「在る」を掘り起こすことだと思います。
全く無いものを取り入れるのではない。
忘れていたもの。もとからあった種を思い出すもの。

「海外」は単なるトリガー(きっかけ)に過ぎません。
今の生活(日常)を続けても掘り起こす事は出来ます。

しかし海外という非日常を体験する事でより強く刺激を受ける事ができます。
それが否応なく内面と向き合う事に繋がり、結果的に意識が変わる。
変わらなければならない。という事になるのだと思います。
そうしなければ生きていけないから

「無い」ものが「在る」になった訳ではない

変化とは流れの中で起こること。
全く別のものになる訳ではありません。

魚が鳥を見て「よし!空を飛ぶぞ!!」とはなりません。
それは最初から「羽」というが無いから。

「0は0」「無は無」なのです。

世界に一つだけの花

I AM THAT I AM(私は私で在る)

生命の樹を学んでいる時に出てくる私の大好きな言葉です。
「私」は唯一無二の存在でこの世に1人しかいません。
誰かの真似は出来ても、誰かと同じにはなれない

どこまで行っても「私は私

もう、諦めるしかない。
私は私にしかなれない。
だったら「私」を思うように育てればいい

赤ちゃん時代、子供時代、を育ててくれたのは、親や保護者。

大人時代を育てるのは自分

もちろん周囲の人達も「私」を育ててくれる大切な人。
でもそれは協力してくれる人達。

「私」を愛し育てるのは自分自身

SMAPの曲で「世界に一つだけの花」があります。
正に、自分の中の生命の樹を育む歌だよなぁ。としみじみ思っています。

花屋の店先に並んだ
いろんな花を見ていた
ひとそれぞれ好みはあるけど
どれもみんなきれいだね

この世で誰が一番だなんて
争うこともしないで
バケツの中誇らしげに
しゃんと胸を張っている

それなのに僕ら人間は
どうしてこうも比べたがる?
一人一人違うのにその中で
一番になりががる?

そうさ 僕らは
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

困ったように笑いながら
ずっと迷ってる人がいる
頑張って咲いた花はどれも
きれいだから仕方ないね

やっと店から出てきた
その人が抱えていた
色とりどりの花束と
うれしそうな横顔

名前も知らなかったけれど
あの日僕に笑顔をくれた
誰も気づかないような場所で
咲いていた花のように

そうさ 僕らも
世界に一つだけの花
一人一人違う種を持つ
その花を咲かせることだけに
一生懸命になればいい

小さい花や大きな花
一つとして同じものはないから
№1にならなくてもいい
もともと特別なOnly one

2002年 作詞・作曲 槇原敬之
SMAP「世界に一つだけの花」より

誰かと比べる必要なんかない。
私の種を育てて、私という花を咲かせればいい。

そもそも誰かと比べる事など出来ない。
みんな違う
みんなこの世でひとつだけのスペシャルで特別な花なのだから。

私の中の生命の樹

生命の樹とは、
カバラの教えの概念図
宇宙の創造をあらわした設計図
と言われています。

また、
人が産まれる時に持っている魂の青写真(ブループリント)として、あらわされているとも言われています。

カバラの教えは天界の教えを地上に教えようとしたもの。
生命の樹はその際に言葉だけでは伝わりにくいので図として表現したもの。

カタチ、色、数字、はダイレクトに脳に働きかけます。

上にある如く下に在る。内に在るものは外にある

にあるもの(天界) 見えない世界のもの、意識世界のもの
にあるもの(地上) 私達の世界、現実世界のもの

にあるもの 私の中の意識世界
にあるもの 私の外側の物質世界

見えない世界と見える世界は表裏一体
見かたひとつ、考え方ひとつで世界が変わることもある。

現実世界は一瞬にして変わることはない。
しかし自分の考え方は変えることができる。
だからこそ言える、

事実はひとつ、真実は人の数だけある

変わりたいと思うのであれば、
生きやすくなりたいと思うのであれば、
自分らしくとはなにかと思うのであれば、

自分と向き合うしかない

誰かが教えてくれる訳ではない。
そして忘れてはいけないのは、

答えは一生を通じて探すもの

今すぐ全ての答えは分かりません。
これさえやれば今すぐ自分が分かる。というのは眉唾物だと思っています。

人間はそんなに薄っぺらなものじゃない

確かに一部分は分かるかもしれません。
しかしそれが全てではない。
その人、その人が生きてきた年月・歴史は簡単に紐解けるほど軽くない

だからこそ、
今の私が思うこと。
今の私が感じること。
今の私が考えること。

それが今の答え

それでいい。

1年後の私。
10年後の私。
30年後の私。

それぞれが違う答えを持っていい。

変わらないことがあっていい。
変わることがあっていい。
それを含めての私なのだから。

それが私の中の生命の樹を育むことなのだから。

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★参考資料

笑顔の樹ロゴB

いつも笑顔でいられますように
笑顔の樹☆Tomoko

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ABOUT ME
TOMOKO
「生命の樹」に魅せられて、探求したり、発信したりしています。

I AM THAT I IM(私は私で在る)
生命の樹を知り、生命の樹を育む。
現実に根を張り、自分自身と向かい合う。

在りたい自分でいられる未来へ。
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